二コール美人や

『インベーション』

ジャンル:SFスリラー
監督:オリバー・ヒルシュビーゲル
主演:二コール・キッドマン、ダニエル・クレイブ

ストーリー

ある日、精神科医キャロルは患者から「夫が別人になった」という奇妙な相談を受ける。
それに付随するかのように起きる、街の異常。キャロルは感じる。「何かがおかしい」と。
その疑問を解明すべく動く医師たちは、キャロルにこう言った。
「眠るな。眠ると発症する」――。
世界を突然襲う、微生物によるインベーション。その最中で、母は息子を、そして『自分』を守りきれるか。
いつ起きてもおかしくはない、未知のウイルスとの闘いを描いたSFスリラー。







1.無難な映画紹介


 ってわけで、インベーションです。洋画です。ついに洋画を紹介する日が来たか! いや、普段殆ど邦画観ないくせに何でようやくなのか、ホント訳分かんないんですけどね。何でだろ?
 まぁそんなどうでも良い話は置いといて、二コール・キッドマン主演のこの映画。インベーション(侵略)の名を冠した、地球外生命による地球人攻撃のお話です。
 地球外生命と言っても、タコみたいな変なヤツが出てきて歌聴かせてみたら倒せた、みたいな話ではありません。この映画の地球外生命は、目に見えない……即ち、微生物なのです。
 この微生物に取り付かれ、発症すると、人間は『人間らしさ』をなくします。対抗する手段は一つ。眠らないことだけ……。
 この絶望的とも言える闘いに、二コール・キッドマン演じる一児の母、キャロルが挑みます。息子を守り、自分を無くさない為に決して眠ろうとしない彼女の力は、観ていて凄まじいパワーを感じること間違いなしです。
 本当に『いつ起きてもおかしくない』、未知のウイルスとの闘い。是非、御覧下さい。









2.ネタばれ有りの素直な感想




 ハイ、ってことでネタバレ有り感想。ネタバレ有りって言ってるくせにいつも大したネタバレが無いのは、僕がビビリだからです。怖い怖い。
 で、この映画。正直な感想を言いましょう。
 二コール・キッドマンが素敵でした。
 ……。
 すいません。でも、正直な感想なんです。俺ってホント、超☆男の子!
 まぁ冗談は置いといて、どうやら僕は息子の為に頑張る母親、ってシチュエーションに弱いようです(まだ続ける)。実は以前、『サイレント・ヒル』を観た時も、母親(ラダ・ミッチェルかな?)にグッと来てました。ちなみに、僕はよく人妻好きと言われます。アレ? 俺、何の話してるんだ? 落ち着け落ち着け。
 そうそう、二コール……じゃなくてインベーション! コレは、うん。普通に誰でも楽しめるんじゃないかな、と思います。
 序盤の方だけ少し演出が分かりにくい部分がありますが、それ以外は基本的に一直線なストーリー。おかんが息子捜して必死こいて助けを待つ、って感じでしたね。
 あと、この映画、人間特有の恐怖を上手に描いてました。それは何かというと、『自分を失う』ということ。
 この映画では、発症した人々が感情を失い、一つの意思……恐らくは、取り付いている微生物の意思で動くようになります。操られる、と言っていいものかは分かりませんが、とにかく、そういう状態になります。
 それイコール、自分が消え、自分の知っている他人が消え、自分の知っている世界がまるごと消えるということ。
 普通なら、そんなもんクソ食らえですよね。絶対拒絶します。でも、敵の数が増えてくると、みんな御節介にも「こっち来いよー」って言ってくる。
 ホント、たまったもんじゃないです。でも、その『人間で無いと味わえない恐怖』こそが、この映画全編を貫くスリル感、恐怖感を生み出しているのでしょう。
 でも、です。
 これってやっぱ、向こうからすると自然な話なんじゃないでしょうか? 向こうは良かれと思って、というより、仲間が欲しくてやってるわけで、そういう意味では孤独を恐れる『普通』の僕らと何ら変わり無い気がします。たとえそれが、地球外生命の意思であったとしても。
 何が言いたいかというと、僕はコレ、人間特有の恐怖の先で、鑑賞者に『どちらの世界を選ぶのか』を問いかける映画としても見れるのではないか、と思うのです。
 確かに、自分の望まない世界を強制されること……自分が自分で無くなる世界にされること、というのは、非常に恐ろしいことです。
 でも、厳密に言えば、キャロルと『彼ら』の立場はイーブンなはずです。自分の持っている世界が正しいと信じているわけですから。
 キャロルは言います。「自分の愛している者を大切と思えなくなるなんて、絶対に嫌」。
 『彼ら』はこう応えます。「何でだよ? 争いも無くなって、誰も怖くなくなるんだぜ? 絶対こっちの方がいいって」。
 さぁ、どっちの世界がいいですか? どっちの世界が、素晴らしいと思いますか?
 僕は……うん、どうだろう。どっちかって言うとキャロル派ですね。だって、そうじゃないと二コール二コール言えなくなっちゃうわけで、それはなんか生きてて味気ない気がします。だからキャロル派。煩悩にまみれているからこそのキャロル派。
 でも、劇中のある人物は言います。「争いが無くなる世界。それは人間が人間で無くなる世界だ」。
 いま思えば、コレ言ったおっちゃんって結構劇中で浮いてたような気がしますが(この重要な台詞を言うためだけに出てきたようなもんだしね、あの人)、まぁそれは置いといて、です。おっちゃんの言葉を言い直すと、「人間が人間で無くなれば、争いは無くなるよ」ということです。
 更に言えば、「人間である限り、争いからは逃れられない」ということですね。
 うん。僕としては、「じゃあ人間でなくて良い」って言う人がいてもおかしくないと思います。それを否定出来るだけの論拠が、僕には無い。
 どちらの世界も、双方からすれば正しい世界です。
 この映画は、あくまでも『自分が自分でなくなる恐怖』『突然のウイルスに、人間が消えていく恐怖』を描いているものだと思います。
 しかし、その我々に取って『恐ろしい世界』は、本当に間違った世界なのか? その世界は、本当に悪い世界なのか?
 僕には、分かりません。
 きっとそれは、この映画のウイルスの効果が、物理的な死に直結していないがために浮かんだ疑問なのだと思います。
 けれども。
 果たして、どちらの世界が『自分にとって』正しいのか。……考えてみても、いいのではないでしょうか?
















 あ、そうそう、最後に一つ。
 劇中、二コールが感染者の一人に襲われ、結果として抱きつかれる形になるシーンがありますが、あれを見た時に正直「羨ましい」とか思った馬鹿は



決して俺一人じゃあ無いはず! はず!!!!




 ……以上で、インベーションの項を終わります。







トップに戻る
inserted by FC2 system